2010年3月28日日曜日

対馬からのハガキ

先日、対馬で教えていただいていた小学校の先生から長女宛に絵葉書が届きました。
長女は、対馬で小学校5・6年の2年間を過ごしたのですが、6年生の時の担任の先生からのハガキでした。
見てみると、どうも娘が、高校に合格した報告をしたらしく、それの返事でした。
少しびっくりしました。
娘が誰かに言われて書いたのか、自主的に書いたのか分かりませんが、感謝の気持ちを忘れないで、先生に報告してくれたのです。
先生もとてもうれしかったと思いますが、私も親として、とてもうれしく、誇らしい気持ちでした。
対馬での恩師、友達との出会い、別れは、娘にとってさみしいこともあったと思いますが、大きな糧のなっていると感じました。
4月から高校生になりますが、このまま素直に育ってくれると信じています。

2010年3月23日火曜日

吹奏楽部定期演奏会

3月21日(日)に南城市佐敷シュガーホールで、南風原中学校吹奏楽部の第5回定期演奏会がありました。
3部構成で、クラシックからポピュラーミュージックまで素晴らしい演奏を披露してくれました。
特にディズニー映画の「美女と野獣」をスクリーンに写しての演奏は、映像と音楽の見事な調和で、観客を魅了しました。
この演奏会は、毎年この時期に行われ、3年生にとって最後の舞台となります。
進学後も音楽の道に進む者、そうでない者、それぞれの未来に向かって歩んでいく事になりますが、3年間一生懸命やってきた事は、人生の大きな財産になると思います。
3年生が大人数であったため、1・2年生は進級後、新入生とともに全体の演奏を今のレベルまで上げるのは大変だと思いますが、県代表を目指して、是非頑張ってもらいたいと思います。

演奏会終了後、他の御父兄と一緒に慰労を兼ねて、顧問の先生と小親睦会を開きました。
いつも難しい顔をしている先生だなと思っていたのですが、話してみると、とても気さくで、楽しく、興味深いお話をしていただきました。
また、先生は、なんと、私の中学校の後輩でした。世の中結構狭いもんだな、と感じるとともに、自分の年を思い知らされました。

2010年3月15日月曜日

「飛び安里」伝説

私の住む南風原町の偉人として、「飛び安里」という人がいます。
職業は花火師で、1780年頃に羽ばたき飛行機を発明して空を飛んだとされます。
飛行した場所と伝えられるのが南風原町津嘉山ということで、顕彰碑もあります。
「飛び安里」の飛行機は、設計図等、資料が何も残っていませんが、町の有志が復元機を製作して飛ばすというイベントもありました。
平賀源内がエレキテルを作ったのが、1776年、「鳥人幸吉」の浮田幸吉が飛んだとされるのが、1785年ですので、ほぼ同年代に大空に挑戦したことは素晴らしいと思います。しかし、「飛び安里」の紹介に「ライト兄弟より100年以上前に…」という下りがあり、これはおかしいと思います。
ライト兄弟が作って飛ばしたのは、人類初の有人動力飛行機であり、「飛び安里」のそれとは全く違うものだからです。
なぜ、ライト兄弟を比較に持ってきたのか理解に苦しみますが、子供たちに間違った情報を植え付けないでほしいと思います。
おとぎ話として伝えるのならともかく、郷土の偉人、郷土の歴史として残そうと思うのなら、正しく評価し、伝えてもらいたいものです。

2010年3月12日金曜日

中学校の卒業式

今日は、上の娘の中学校の卒業式でした。
中学校生活3年間を振り返る、写真やビデオをまとめたDVDの上映が式の始まる前にありましたが、卒業生はもちろん、在校生、そして、我々保護者にとっても興味深く、楽しく見ることが出来ました。
また、在校生が、舞台上からピアノの調べに乗せて卒業生を送る詩を情感たっぷりに朗読してくれました。
写真の、舞台のバックに掲げられているのは在校生が卒業生を送るために描いた壁画だそうです。製作に2週間かかったそうです。
中学校卒業で、義務教育を終了したことになります。親としてやるべき事を尽くしたのか多少の疑問は残りますが、その都度その都度で最良の判断を下して導いてきたつもりです。
まあ、主に力を注いだのは私ではなく妻の方ですが…
幸い、素直に育ってくれていると思います。これから少しづつ親の手を離れていくのだろうと思います。
上の娘は、幼稚園を対馬と沖縄具志川で、小学校1年から4年まで南風原、5・6年を対馬で通いました。
転校を繰り返して、さみしい思いをしたと思いますが、それぞれの地域の先生や友達から良い影響を受けたと信じています。
これまでいろいろな所で、いろいろな方のお世話になりました。
これからも宜しくお願いします。